気付いたら

 

 

前回の更新からあっという間に2か月近く経っていました。

何をしている訳でもないけど、月日というものはあっという間に流れていくもので。

 

先月末で職場を退職し、一時的にメンタルが安定したものの

気を抜くとメンタルの波に自分が飲み込まれるという生活の繰り返し。

 

実は退職前にひと騒動あり、そこでとてもメンタルをすり減らしました。

そして、そのストレスがあまり発散出来ていないのか少しの事が響く日々です。

どうにかしたいけど、どうにかできるわけじゃないし、でもこれをどうにかしないと今後も同じことを繰り返してしまうんじゃないかと考えてしまいます。

 

何か新しいことを始めようと思っても、思うだけで終わってしまう。

そして完璧主義者の部分があるからこそ、名実ともにニートになってしまった事に震える。

早く仕事をしたい、働きたい、そんな気持ちで胸がいっぱいになってしまいます。

 

今はそういう時期だと割り切って穏やかに過ごせるようにしたいです。

 

 

 

適応障害と診断され、休職して半年。(傷病手当の話になってしまった)②

 

①の続きになります。

 

端的に言うと、あまりにも会社の傷病手当金の申請が遅く激昂した話です。

 

確かに傷病手当金の申請書を書いていただくって仕事を増やしてはいますよ。

申し訳ないなーとは思ってはいます。

ただ、こちらとしても仕事を休んでいようと何しようと月々の支払い期限は来るし、

傷病手当金で生活してるんですよって気持ちが滅茶苦茶湧いてきました。

働きたくなくて働かないんじゃないんだよ!!!!!!!!ってなりましたね。

こっちだって働きたいのに働けない、しんどいのにって泣きたくなりました。

休職して以降、1番精神的に落ち込んだかもしれません、冗談抜きで。

 

でも、泣くよりも何よりも怒りの方が強くて。

(もしかしたら、これを読んだ方で会社だって締め日があるし、そこからの計算になるからそれ位遅れるのでは?って思う方もいると思うんですが私が働いてる会社は締め日月初なんです、、。)

 

怒りが湧くとその分行動的になるんですよね。

もう!こんな職場辞めてやる!!って考えになりました。

そしてそのまま職場へ連絡し、当日上司との面談を取り付けます(笑)

(この書き方だと短絡的な考えに感じると思いますが、こうなる以前から考えてはいました。言い出す気力がなかっただけです。)

 

そして上司と面談し、晴れて退職する運びに!

これで会社通すことなく今後は傷病手当の申請ができる!ストレス1つ減る!って気持ちでさっぱりしました(笑)

 

休職している身としては、本当傷病手当は唯一の生活費です。

今までずっと自分で働き、給与で生活していたからこそ家族だろうと同棲している彼だろうと、頭を下げてお金を借りるのはこちらとしても苦痛です。

どうしてこうなってしまったんだ、とぐるぐる頭で考えてしまいます。

 

まとまりが悪いですが、少しでもストレスになる要因を減らして少しでも早く回復したいという話です。

 

 

 

次はもともと書こうと思ってたものを書きたいなと思います。

とても眠いので少し寝たいと思います、朝ですがおやすみなさい。

 

 

適応障害と診断され、休職して半年。(傷病手当の話になってしまった)①

 

おはようございます、西川です。

おはようございます、と言ってもまだ寝れていませんが、、、。

このままだと今日、心療内科行けないんじゃないかな(;´д`)トホホと考えております。

 

気付いたら休職して半年が経ちました。

ここまで仕事を休むとは私自身思っておらず驚きです。

また、まだ今月なのか来月なのかは決まっていませんが職場も辞める事にしました。

まだまだ復帰が見込めないというのと、もう1つ今回書く内容に理由があります。

 

眠い目を擦りながらではありますが、ゆっくり書いていこうと思います。

頭が半分以上寝ているので誤字脱字やいつも以上に日本語の変な部分が出てくる可能性もあるとは思いますが、そこはご愛敬です(笑)

 

本当は自分の頭の中を整理しつつ、何故適応障害になってしまったのか(原因の考察を)書き込みたかったのですが、、。

自分が自己覚知できる良い機会かなと思ってはいますが、今の頭の回転では頓珍漢、だけど無性にこちらに書き込みたくなりましたのでゆっくり書き込みます。

 

 

では本題へ。

 

 

昨年の7月に休職して、さあこれで徐々に良くなっていくのか、、!と休職してすぐの私は楽観的に考えていたわけですが、そんな訳もなく!笑

7月の半ばに急に希死念慮を感じる(日本語が合っているのか不安)ようになり、同棲している彼に相談した所、心療内科に受診する事に。

受診した結果、医師からは今すぐにでも休職するように、と診断書を書いていただきました。

翌日その旨を上司に報告、ちょうど人手不足だった為シフト調整等が済んだのは診断書を提出してから3日後の事でした。

 

 

診断書を提出し、休職をしたのが7月の中旬。

傷病手当金等受けたいという話を休職前にしていましたが、8月に入っても何も連絡もなく。

8月の中旬に連絡すると本社が私の休職を認めたのは8月から、という事になっていました。

その為、7月は休職扱いにしてもらえず傷病手当も受け取れませんでした。

(追加すると、7月は出勤した日数にまだ取れていなかった公休分を足されてしまった為、ダメ元で傷病手当金を申請するにも本当に雀の涙の計算でした。)

また、傷病手当金申請書の案内が本社から自宅に届いたのも8月末。

もうこの時点で私は激昂しています、何なんだこれは!と。

だけど問い詰める事をする気力すらありませんでした。

ただ、休職してから8月末まで心休まる事はありませんでした。

職場から離れたにも関わらず、お金の心配等で職場の事を思い出してしまうからです。

9月になり、そこから傷病手当の申請が始まり、何とか精神面では一旦落ち着きました。

しかし中々睡眠不足が治らず、ヤキモキする日々。

無気力感、倦怠感をずっと感じながら過ごしていました。

 

そして年明け、というか今月に入ってからですね。

問題が起きます。

1度目の傷病手当金を申請してから、毎月月末に傷病手当が振り込まれるよう月初めに必ず医師の部分を書いてもらう為通院が被るよう調整しながら通院していました。

 

1度、傷病手当が月末入金される事がなく会社へ払う社会保険料が期限内に支払えないことがありましたが、電話でその旨をお話した所「こちらは〇日に協会へ申請している為、あと数日で入金されると思います。それからで大丈夫です」って事があったんですね。

その時は何故早く提出しているのに、、、!とは思ったものの、本当月末から数日遅れた位だったのであまり気にしていなかったんですが今月は待てど暮らせど入金されず。

 

社会保険料の入金の件で会社へ連絡した時も上記の時の方とは違う方が対応してくださったのですが「こちらは〇日に協会へ申請してます」等のお話がなかったのですが、入金されない焦り、支払いに間に合わない不安感で精神的に安定しておらず、そこに対して突っ込んで聞く気力もなかったのでそこで電話は終わりました。

 

そして数日経ってもまったく入金される気配はなく。

もちろん協会から入金のお知らせのはがきも来ません。

月々の支払いが不安で不安で仕方なく、遂に協会へ問い合わせの電話をします。

すると協会からの返答は「〇〇会社からこちらへ手続きの申請が来たのが1月27日でして」でした。

何故どうしてそうなったWhy???ってなりました。

待って待って、私会社へ郵送したの1月の正月休みが終わってすぐだぞ?と。

 

(長くなったのでわけます)

 

 

 

社会人人生を振り返る

 

初めてのブログです。

どんな風に書こうかもぞもぞしているのですが、手始めに自分の社会人人生について振り返っていきたいと思います。

 

社会人の事を振り返るのであれば、関連して少し学生時代の事も。

 

高校時代、介護科というほど大層なものではありませんが介護の勉強ができる学校へ進学し在学中に当時のヘルパー2級(現在の初任者研修)を取得。

本当は高校卒業と同時に就職しようと入学当時は考えていたのですが、学科の先生より当時の介護施設の給与の現状等聞いて、可能であれば進学し介護福祉士の資格を取得した方がいいとのお話もあった為、資格が取得できる学校へ進学しました。

(私が学生だった当時、まだ卒業時共通試験に合格すればそのまま介護福祉士の資格が取得できました。今は養成校でも国家試験を受験しないといけなくなりましたが、、)

 

在学中、高齢者施設だけではなく障害者施設にも実習に行く事ができ、どちらの分野へ就職するか迷いましたが、高齢者の介護施設へ就職しました。

 

最初に就職したのは新設の特別養護老人ホームでした。

新卒、そしてオープニングスタッフというなかなか一度には味わえない経験をさせていただいたんじゃないかと勝手に思ってます(笑)

あるあるなお局様との戦い等ありましたし、いいことばかりではなかったです。

ただ、結果的にはあそこに勤められて良かった!と思えるようなところでした。

 

自分の中でとても誤算だったのが、元々学生の頃から腰痛を持っていたので介護の際に無意識に腰をかばい続けてたらしく、肩の亜脱臼が癖になった結果、最終的には肩関節のとある軟骨が傷ついてしまった事です。

仕事に支障も出ますし、関節唇損傷はあまりポピュラーなものでもなかった為周りからの理解も得る事が出来ず退職する運びになりました。

 

自分の身体だと特養は難しい、そういえば学生の時気になっていたのは有料老人ホームだった!という事で次は有料老人ホームに勤めました。

 

ええ、これが間違いだったんです。

おかげ様で現在、適応障害で休職しています(笑)

 

 

 

次回、なぜ適応障害になってしまったのか!

完全主観ではありますがあれが原因かな、等考えながら書きたいと思います。